1 月 06

海上から見たそのシルエットが、日本海軍の戦艦「土佐」に似ていることから、軍艦島の通称で呼ばれてきた。人口が最盛期を迎えた1960年には5,267人の人口がおり、人口密度は東京特別区部の9倍以上に達した。炭鉱施設のほか、住宅・学校・店舗・病院・寺院・映画館・理髪店などもあり、島内において完結した都市機能を有していた。
1960年以降は、主要エネルギーの石炭から石油への移行(エネルギー革命)により衰退。1965年に新坑が開発され一時期は持ち直したが、1970年代以降のエネルギー政策の影響を受けて1974年1月15日に閉山した。閉山時に約2,000人まで減っていた住民は4月20日までに全て島を離れ、無人島となった。
ロマンを感じる。
軍艦島 一般公開へ (404 error BLOG)
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